1.17




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1月17日。出勤しなくてもいい日曜日。普段なら午後まで寝ているけれど今日は午前5:30に起床しました。
ちょうどそのタイミングで、神戸に出張している友人からの電話があった。追悼式が行われている東遊園地にいるとのこと。
私はそれを知らなかったからとても電話をくれたことに感謝した。電話を繋いだまま午前5:46を迎え黙祷。
阪神淡路大震災が起きてから15年目の今年。15年前の私は中学3年生。卒業アルバムの「今年の出来事」にそれは掲載されている。

当時TVから流れる映像は現実のものとは思えなかった。勝手な話だが縁もゆかりもない地域であっただけに実感が湧かなかった。
その現実的な感覚が遅ればせながら一昨年その地で設計をしたことで、私にもようやくやってきた。とんだバカだ、と思う。

やはり、その当時その場所でその体験をした人の話を直接聞くことができたから、ようやく実感できたのだと思う。
あの時、クライアントのお兄さんは新聞配達をしていてバイクごと宙に舞ったと言っていた。そして瓦礫の下から人を助けた話も。
施工会社さんの事務所至近にあった高速道路。見上げながら「あれが大破壊してなぎ倒れていた高速道路」と教えてくれた。

そんな話を聞かせてもらいながら、被災地の中心だった三ノ宮の高架が崩れなかったのは奇跡的だと思った。
あれが崩れてしまっていたら私たちが設計したあの店はあり得ないものだった。

昨日、今日と、TVでは大震災の特集が。足しげく通った場所に起きていた惨劇は見ていてとてもじゃないが言葉もでない。
だから当事者はもっと、だと思います。私を含め第三者には計り知れないほど沢山の思いがあると思います。
きっと私なんかが想像を絶する傷心。慣れ親しんだ街の見たくもない状況を見て、大切な人を一瞬にして失って。
あたり前にある日常が、あたり前にあるということ。平穏な日常があることに感謝したくなります。

神戸の人たちをあったかく感じるのは、そんな困難を乗り越えて、そういったことを真に理解しているからなのかもしれない。
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by another29 | 2010-01-18 01:51 | ■Life

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